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数オリから何を学ぶか?
更新日:2021-02-11

記事「数オリは有益か?」の続編にあたる,エヴァン・チェン氏による記事です. まずは前編をご覧ください. 今回の論点は「数オリから何を学ぶか?」です.ここで議論されているのは,具体的な数学にまつわる側面というよりは,むしろ精神論的な側面です.特に,もし貴方が満足な結果を残せないまま数オリを去ることになり,未練を多く残している場合は,この文章は貴方に大いなる洞察を与えてくれるかもしれません.

掲載にあたって,大きな意訳や改変が加わっている可能性があります.もし正確な内容を知りたければ,原文を読むのがもっとも正確でしょう.また,これは必ずしも制作陣の立場を反映しているものとは限らないことに留意してください.

なお,この記事の翻訳・掲載にあたっては,エヴァン・チェン氏による許可を得ています.

Lessons from Math Olympiads

以前の投稿で,数オリは研究活動との関連性で判断されるべきではないとの指摘をしました.その際,なぜ数オリが学生にとって貴重な経験になると思うのかを説明していませんでしたので,ここでお詫びしたいと思います.

1. 大まかな論点について

私が高校生だったころ,高校で教えられるよりも(遥かに)面白い数学を勉強する機会を促すことが,数オリの主たる目的だと考えていました.これは確かに今でも目的の一つではあり,一部の人にとっては根本的なものかもしれませんが,私はもはやこれが根本的な利益であるとは考えていません.

私の現在の信条は,数オリには大きく分けて二つのメリットがあるということです.

  1. 似通った興味を持つ才能ある学生のための,社会的ネットワークを構築すること.
  2. 才能ある学生が知的に成長できるような,やりがいのある経験の場を提供すること.

ここで断っておきますが,私はこれらが数オリの他ならぬ目的であると主張しているわけではありません.確かに,数学とは美しい対象であり,オリンピアンらをこの分野へ導くことは,もちろん素晴らしいことです(特に私にとっては人生を変えるものでした).しかし,以前にも申し上げたように,最終的に数学者にならない数オリ出身者も少なからずいるわけです.そして私は,そうした人たちも数オリの経験から多くのことを得ていると,とにかく訴えていきたいのです.

2. 社会的な経験について

Eメール,Facebook,AoPSといった接続の場が豊富にある今,数オリコミュニティはこれまで以上に大きく,強固なものになっています.コンテストの季節に何度か会うに留まらず,一年を通じて繋がりを保つことが可能になりました.全国の出場者がグループチャットで数学の問題について話したり,愉快な写真やジョークを共有したりしています.多くの点において,数オリのコミュニティに参加することで得られるものは,一流大学の同級生内でのコミュニティによるものと似ています.

競技は出場者にとって不健全なものだという懸念が世の中にはいくらかありますが,それに対する弁明をここでしましょう.

私は,数オリのコミュニティは競争的というよりはむしろ協調的だと思っています.皆が他人より良い成績を取ることばかりを目論んでいる世界線を想像することだって可能です.それは世界を悪いものにするでしょう.しかし,少なからずそうした偏見は存在するようなのです.別にあなたの隣にいる人の点数がどうであろうとどうでも良いはずです(し,そのことを考えても何のためにもなりません).

もっと露骨に言ってしまえば,コンテストでは満点を取ってしまえば良いのです.

こうした文化線が存在するから,優秀な学生が集い,お互いに敵対するのではなく,皆で同じ方向へ向かって努力している.だからこそ,自立したコミュニティが成立して,出場者同士が本当に仲良くなれるのです.

本当に優秀なコンテスタントは,USAMOやIMOといった本当に重要なものを除けば,コンテストの結果などさほど気にしていないものだと思っています.「Harvard-MIT Math Tournament はアメリカの数オリのコミュニティの同窓会と化している」というのは良くある冗談ですが,個人的には実際に毎年そうなっているのを見届けています.

3. 知的に成長することについて

何かしら深いことについて思念したり,取り組んだりすることに多くの時間を費やせば,その経験から学び,成長することが出来るというのが私のスタンスです.チェスを例に挙げてみましょう.チェスは数学よりも「実生活での応用」から遠いことは確かですが,高レート者に対して,彼らがチェスに捧げた時間は無駄だったとみなす人は少ないと思います.

数オリも例外ではないでしょう.実際には,数オリの深淵さと困難さは,恐らくそれを際立てて好例にしています.

私はここから,多くの具体例でこの節を埋めるつもりです.もちろん,これらが網羅的であるとは言いません.

初めに,誰もが話題に挙げ,多かれ少なかれ同意するものです.

次に,私は信じているものの,あまり耳にすることの無いものです.

4. もし上手く行かなくても,その方が自分のためになると思う

しかし,数オリの真に驚くべき特徴は,ほとんどの参加者は成功できないということだと思います.学校では努力すれば成功すると誰もが説きます.USAMOは,その素晴らしい反例です.(※たとえば入賞者が約20名で不定のJMOなどとは異なり)毎年のUSAMOでは12人きっかりの成功者がいます.しかし,USAMOでの成功を願って一生懸命に努力している人は,毎年12人よりも遥かに多いと断言できます.これを虚しいことだと思う人もいますが,私は望ましいことだと思っています.

一つの逸話があります.2015年9月のこと,フェン・ズーミン(※アメリカの数オリ界における主要な運営メンバーの一人.日本では精選シリーズの著者の一人として知られる)の講演が聞きたかった私はMath Prize for Girlsの保護者会に紛れ込みました(講演の一部始終は現在 YouTube で見ることができます).講演には私が気に入った部分がたくさんありましたが,その中でも特に印象的だったのは,彼が優秀な学生らに対して述べたというこの言葉でした.

熱心に取り組んでほしいけれど,もし上手く行かなくても,もし失敗しても,その方が自分のためになると本気で思うよ.

初めて聞いたとき私は頭を悩ませましたが,今思えば納得できます.私が主張したいのは,数オリから得られる利益とは,4月下旬にUSAMOで何問かの問題を解けるようになることではなく,そのための1年間の訓練に基づくものだということです.残りの363日が同じように流れたとして,USAMOでの最終的な結果だけが変化した場合,成功と失敗のどちらが人としての成長をより助けるでしょうか?

だからこそ,最終的な結果にかかわらず,そこまでの道のり全体の真価を認識することが,数オリからの最終的な教訓だと思うのです.